サッカーがあることが当たり前の国「スペイン」で「結果」に対する価値を考えさせられましたので、ここに共有します。
スペインの『結果は最高を求めるが、勝ったとしても負けたとしてもフットボーラーとしての価値は下げない』それは、選手個人の自己肯定感の高さからくるものだと考えています。
逆に日本では『結果を出していることこそが、プレイヤーとしての価値を上げ、負けてしまえば価値を下げる』
その思考の結果、サッカーを学ぶことよりも、多くの『できないこと』を『できるようにすること』こそが成長であると錯覚してしまいます。
また、同様に成長よりも成果(結果)を焦りすぎるあまり、フットボーラーよりも質の高いプレイヤーを求めてしまいます。
どのように勝つかを追い求める『フットボーラー』
目の前の勝利を追求する『プレイヤー』
この2つは同じようで全く違います。
『「勝ち」を求めることで自分の価値を高めるフットボーラー』そして『目の前の勝敗に依存していくプレイヤー』
それは指導においても大きく違いが出ます。
上方向に攻撃している「〇チーム」。ボールを持っているAくんのサポートをしたBくんが★の部分で相手ボールを奪われて失点してしまいました。
『プレイヤー』を求めるチームは『ボールを奪われたこと』を注視し、Bくんはボールタッチを良くすることが必要だと考えます。
『フットボーラー』を求めるチームは右の図のように『ポジショニングのズレ』を注視し、Bくんは相手をよく見てポジションをとることが必要だと考えます。
ここでわかるように『プレイヤー』はテクニックを重視し、『フットボーラー』はサッカー理解を重視します。
ここでプロの世界を考えてみましょう。
テクニックに優れた選手(ドリブラー)でサッカー理解をしていない選手はプロになれるでしょうか?
答えは「NO」です。ただしそのカテゴリーで突出したテクニックを持っていて、ゴールという結果を出し続けられる選手はなれる可能性があります。得てしてその場合はスタメンではなく途中交代です。
逆に、サッカー理解に優れていて、テクニックレベルが低い選手はプロになれるでしょうか?
それも「NO」です。監督には向いているかもしれません。ただし、テクニックレベルは突出していなくても一定基準以上であればなれる可能性があります。
以上からわかる通り、プロになるには目標とするレベルの中で『結果を出し続けられるズバ抜けたテクニック』か『高いサッカー理解と一定基準のテクニック』が必要です。
ズバ抜けたテクニックは多くが『右へ習え』で身につけるテクニックでは身につきません。
ある一定のレベルまでは行きますがそれ以上は・・・天性です。
ではサッカー理解はどうでしょう。
サッカーを学びコートで表現するには、学校の勉強のように座学で学んで1週間前から勉強をして終わる話ではなく、何年、何十年と学んで解決していく中で身についていくものです。
選手の成長の観点から行くと、大きく分けて以下の2種類であると考えます。
①【できないことができるようになる】
②【知らなかったことを知る】
②を知らないほとんどの選手は、できないことをできるようにするためにすべての時間を使います。ドリブルでボールを奪われればドリブル練習、シュートを外してしまえばシュート練習。クロスの精度を上げたければ、クロス練習。これらは全て、①できないことができるようになる努力。
ただサッカー選手として成長していくには、②知らなかったことを知る努力こそが『フットボーラー』になるには重要です。そのために最も大事なことは、【知っている人にきちんと教わる】ということ。
サッカー選手の成長というのは以前の『成長を信じること』というコラムで書いたように、モヤのかかったような状態が続いていた選手が、ある日突然モヤが晴れ、急激な成長をします。
テクニックを高めて戦術メモリーを増やしていくこと。
できないことをできるようにし、学んだことに『挑戦』し、自分を変えていける『勇気』。
すべての子どもたちが生まれながら持っている資質を失わずに成長し、いずれ日本が世界の『育成大国』に名を連ねる日が来ることを信じています。