知見を広げるために英語を学び、隙間時間での海外旅行。
①親日国
②英語圏
③日本から近い国
ということで、今回はフィリピンに行ってきました。

初めに定番は必ず回ります。
世界遺産の「サン・アグスティン教会」「マニラ大聖堂」「サンチャゴ要塞」「フィリピン国立美術館」



一枚の絵と出会いました。

題名は「Japanese Atrocities(日本の残虐行為)」
第二次世界大戦時、日本はフィリピンに侵攻し、その時に統治していたアメリカを降伏させていました。
目隠しした裸の男に振りかぶる日本兵
国立図書館に飾られたその絵を見たとき、日本人でありながら日本の過去を知らない惨めさ、また日本人として申し訳なさが込み上げてきました。
核を落とされ、被害者だと思う日本人。
核を落とすことは、正義だったとするアメリカ。
同じようにフィリピンで語られてきた「日本との歴史」と、日本の教育現場で教えられる「フィリピンとの歴史」は全く違い、日本にとって「都合のいい歴史」を私たちは教えられてきたと思いました。
「韓国人?中国人?」
海外に出るとよく言われることです。
でもそのたびに
『私は日本人だ!』と心の中で叫び、日本に対して誇りを持ってきました。
でも、その誇りの礎が「隠された日本の真実の上にある」としたら、これほど惨めなことはありません。
他国から見た日本。
真実はその国に行かないとわかりませんね。


旅のプランはいつも立てません。
ざっくりと調べ、あとは気の赴くままに行動します。
でもそんな中、前日に調べていたところで気になるものがありました。
深夜にも関わらずすぐに連絡を取り、翌日のプランを決めました。
『ハッピーランドとスモーキーマウンテンツアー』
それは「自分の知らないことを知る」「いましか挑戦できないことにチャレンジする」とてもいい場でした。
【スモーキーマウンテン】
マニラの北部にかつて存在した巨大なゴミ山とその周辺のスラム街。捨てられたゴミが自然発火し火が絶えないことから「スモーキーマウンテン」と呼ばれる。
以前は漁村として栄え、住民のほとんどが漁をして稼いでいた。しかし1954年にマニラ政府がここにゴミを捨てることを決め、その結果捨てられたゴミの中から利用可能なものを換金し生活をする「スキャベンジャー(ハイエナ)」と呼ばれる住人が21,000人住んでいた。
その後40年以上、ゴミを捨て続け、閉鎖された今でも200人以上が住む。


【ハッピーランド】
スモーキーマウンテンが閉鎖されたときに、政府が隣接する海岸地帯に30棟あまり建てた巨大な仮設住宅群。数千人の人々が住んでいる。さらに、仮設住宅に入れない人たちが作った小屋が海沿いにまで延々と続いている。


また、ここにはマニラ中のゴミが今でも運び込まれ、分別することで収入を得ている人々。
下の画像の大きな白い袋いっぱいのペットボトルが100円、タイヤは120円で買い取られ、一日働いても400円程にしかならない。



部屋を借りるのに4000円と高額だが、トイレや寝室などもなく3畳程度の部屋がひとつあるのみ。
用を足したいときはビニル袋にしてからゴミ収集車が来たらそこに持っていく。
ほとんどの住人に家はなく、寝るのはごみ収集に使ったカートの中。


排水も整備されてなく、水道はない

これはパグパグといって、マクドナルドやジョリビーなどの残飯を水洗いして味付けして油で揚げたもの。食べる部分はかなり少ない。


町中はとても活気があり、メンコやコマなど日本の遊びをしている子供、バスケットやビリヤードをしている子供もいました。

何度も「どこから来たの?」と聞かれ、「日本だよ」と言うと微笑んでグータッチをしてくれる優しい人たちが多かったです。



「幸せってなんですか?」
そんなことを考えさせられる旅となりました。
物にあふれ、物を守ることで裕福だと感じてきた日本とは全く違う世界。
町のいたるところで家族や友達とじゃれ合っている素敵な光景を、何度も何度も見ることができました。
ただ私の心の中ではどこか消化できない思いがあるのも事実です。
そしてそれが何かは、まだわかりません。
たくさんの価値観に触れ、すべてを認め、日本だけでは味わえない世界をもっと子どもたちに伝えていきたいなと思います。
「みんなにとって幸せって何ですか?」