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【監督コラム】「主語はだれ?」

3年前の春、マドリードから少し離れた「マハダオンダ」という町に、私はいました。

初めてスペインという地に降り立ち、街並みを知るため散歩に出かけ、そこで私は一人の少年に出会いました。

決して広くはない広場で、階段に向かって一人でボールを蹴るその子。

日本なら小学1~2年生くらいでしょうか。

「一人でボールを蹴る子がこんな所にもいるんだ」と近くのベンチに座って見ていると、私の所にボールが転がってきました。

「少し遊んであげようかな」

そんな思いでボールを拾い

「このボールとってごらん。1対1やろう!」

とジェスチャーで伝えました。

するとその子はつまらなさそうな表情で顔をそむけたのでボールを返し、少し寂しい思いでホテルに戻りました。




私は5月に子どもの授業参観に行きました。

ずっと授業を聞いているわけではなく、掲示物を見たり、少し違う階に行って他のクラスの授業の様子を見てみたり、窓から外の景色を見たりと様々な環境を楽しんでいます。

授業を聞いてみると、高校時代を思い出すこともあります。

「確か英語には、自動詞と他動詞があったな。それってなんだっけ」

「受動態ってあったな。受身形でbe動詞+過去分詞で・・」

といった具合にです。

そこでコソコソとスマホで調べたりして、自分なりに授業を楽しんでいます。

その一つに「受動態」がありました。



『be動詞+過去分詞』で「~される」という意味。

I play with the boy.(私は少年と遊ぶ)という英語は

The boy is played with by me.(少年は私に遊ばれる)となります。

そこで私はスペインの子どものことをふと思い出しました。


「あの時、私は一緒に遊びたかったのかな。遊んであげようとしたのかな」


こちらは「遊んであげよう」としても、子どもからすると「遊ばれる」と感じることがあることに気づいたのです。



スペインの子どもはいつもすごく元気で活発。とにかく『遊ぶのは大好き』です。

グランドにお兄ちゃんの試合を見に来ている弟や兄弟は、ほぼ全員が何かしらをして遊んでいます。

ネットに向かってボールを蹴る子、寝転んでボールを上に投げてキャッチしたり、グラウンドの周りの柵を使ってぶら下がったり逆上がりしている子どももいます。

お父さんお母さんはというと、チームの応援をしたり、他の友人と談笑しています。

そう、みんながそれぞれに今の時間を「自分の時間」として遊んでいるのです。

そんななか、私の「遊んであげよう」という思いと行動は、ある意味では『ありがた迷惑』だったのではないでしょうか。

もしかして広場のあの子は「遊ばれる」のを『からかわれる』と感じたのではないでしょうか。

日本でよく見かける、子どもと大人が遊んでいる風景。

子どもと大人が遊んでいる場合は「遊んであげている大人」と「大人に遊んでもらう子ども」がほとんどで、「遊んでいる大人」と「遊んでいる子供」として対等に遊んでいる姿はあまり見かけないように思います。

忙しい毎日を送っている親御さんが「子どもと遊んであげよう」と重い腰を上げて行った行動も、時としてマイナスになることもあるのです。

もし子どもが「遊んでもらう」「楽しませてもらう」こと慣れていたとしたら、自分で何かをすることにあまり楽しさを感じられず、「させてくれる環境」に依存してしまうかもしれません。

そんな中、子どもたちにとって大切なのは親御さんとのスキンシップだけではなく、子ども自身が自分で遊びを見つけ、楽しいと思う時間なのかもしれませんね。

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