最近サッカーにおける『目的』と『手段』の話をする機会がありました。
サッカーの『目的』は「相手より多くゴールすること」であり、そこに至るまでは「手段」であると。
守備はサッカーの目的を達成するために「ボールを奪い」「ゴールを守る」。
そして手段としては相手を「誘導する」「守備の優位性を作る」
奪いやすいチャンスを作ること。
そんな『目的』『手段』のことを考えていると、「『目標』という言葉はどんな意味なんだろう?」と気になりましたので、共有させていただきます。
『目的』とは最終的に実現したいと目指していること。目標に比べると抽象的なもの。
『目標』とは、目的を実現させるための途中の通過点。
『手段』とは、目標を実現するために、行うことです。
例えば、「多くの人の笑顔を見て幸せになりたい」という『目的』を持っているA君の目標は、「サッカー選手になってサポーターを笑顔にする」ことであり、『手段』は「毎回のトレーニングの振り返りと前回の反省を練習前に確認すること」「トレーニングがない日に個人の課題をクリアするために1時間以上自主練をすること」
同じく、「多くの人の笑顔を見て幸せになりたい」という『目的』を持っているB君の目標は、『ディズニーランドのキャストになってたくさんのゲストを笑顔にする』ことであり、『手段』は「海外から来るゲストとコミュニケーションをとるために英語を勉強すること」「ミッキーの服をデザインするために服飾の学校に行くために勉強すること」
この2人を比べると分かるように、同じ『目的』を持っていても『目標(通過点)』は人それぞれあり、同じ人でも色々な目標を持つことができるのが特徴です。また、それに合わせて手段も無限に広がります。
この3つが見えてくると色々な違和感を感じてしまいます。
いま受験シーズン真っ只中。
高校に入るためにみんな「受験勉強」をする。どの親御さんに聞いても「うちの子全然勉強やらないんですよ!!」と言います。
ではそれ以前に決めた高校に入るのが「目標になっているの?」「その動機は?」「その先にどんな目的があるの?」
それが明確であれば、自然と机に向かうだろうし、それ以外の多くの『目標』を同時に考えることができます。
ただ日本の受験システム上、各校に特色がほとんどないのに、『●●高校に進学する』ことを目標にするのは難しい。
そして『手段の目的化』これが一番良くありません。
A君の「1時間自主練習をすること」が目的になったとき、「何のためにするか」が備わってないとただやっているだけで、質が半減してしまいます。
なんとなくわかっていただけましたでしょうか?
『夢を語りにくくなった日本』という国では、同じように『人生の目的』を持つことが難しくなってきたように思います。
だからこそ敢えてここで僕の『人生の目的』を書きます。
『人の中で生き続けること』
この目的は、僕が中学生の時にもちました。
多くの人の記憶の中で生きていき、僕と過ごした時間の中でいい影響を与え、考え方や哲学が受け継がれていく。それこそが僕が生きた証になるはず。
その目的のを達成するために『サッカー選手を真剣に目指し』、『フットサル場で働いて多くの人に出会い』『LEGOランドで多くのゲストとふれあい』、『RayoNAGOYA』で多くの子どもたちと日々を過ごす。
毎日最高の気分です。
子どもたちの成長のためなら、どんな役にだってなることができます。
いつもありがとう。
そして子どもたちのお父さんお母さん。
立派な『目的』を持ち生きていくために、たくさんの時間を共有してあげてください。
お子さんに「なりたい夢」ができたとき
「なんでそう思ったの?」と聞いてあげてください。
きっとその先に「人生の目的」が見つかると思います。
そして「人生の目的」をもった子どもは本当にたくましく自らの足で進んでいきます。
RayoNAGOYAはこれからもサッカーの成長だけでなく、子どもたちの「生きる力」を育んでいきます。
これからも宜しくお願いします。